2012年1月1日(北海道)
2万5千分の1地形図「無意根山」
美比内山を終えて車に戻る途中、選鉱所から下った所のヘアピンカーブ横からトレースを見つけた。豊羽小中学校跡地の下辺りから入っている。
「あれ、どこの山に行っているのかな?」と思い、車に戻ってから考えてみると、△1111.6mが思い当った。地形図には山名が無いが、大沼山と呼ばれ札幌周辺の登山者に親しまれているという。北海道山メーリングリストの本(北海道冬山ガイド)にも出ていた。帰りには書店へ寄って是非買って帰ろう。
初版の印税は自然保護団体に寄付、最近出た増補新版の印税は東日本震災の義援金として寄付したという話を聞いている。立ち読みばかりでは申し訳ない。HYMLの皆さんに敬意を表したいと思う。
定山渓で食料などを補給して、昨日美比内に登る前、教えてもらったプレハブ脇の駐車スペースに戻って車中泊することにした。
翌日1月1日、朝8時に歩き始めると、ヘアピンカーブ横から昨日見かけたトレースが入っている。
沢に沿って進んでいるので自分の思惑とは異なっていた。注意深くだが、しばらくこの後を付いてゆく事にする。少し行くとこのトレースは昨日のものと今日のものがあってどちらも2~3人いる事に気づいた。新しいトレースは標高650mで沢から離れ早めに尾根に向かっている。
こちらのルートに入り後を追い、スピードを上げると最後尾がちらりと見えてきた。標高780mで振り返ると北の方向にちらりと見えているのは美比内山の様だ。ルートは標高875mピークに向かっているように思われた。
必死に追いかけて、追いついたのは875mピークの先のコルだった。ラッセルのお礼と挨拶をして短い休憩の間にパンをひとつ腹に入れた。
トップを交替して暫くは私が先に行くが、頂上手前の急斜面下に着くと各々自由にルートをとって登り始めた。私は後続に配慮してやや緩い右側の斜面を登ったが、後続の2人は正面から登って行った。
頂上直下には昨日の登山者が張ったテント(ツェルト)の跡が残っていた。
そこから一息で頂上に着くと、風がかなり強く、写真を撮る手と耳が痛くなった。風紋の刻まれた稜線の先には昨日登った美比内山が見えていた。
稜線の両端にある大きな2座、無意根山と余市岳ははっきりとした姿を見せてくれなかったが、南西の京極町方面の展望は広々として気分がよい。羊蹄山の姿も雲の中だった。
北東方向には定山渓天狗岳と無意根山に続く稜線がきれいに見渡せている。
何よりこの様に青空も見られる天気で頂上まで来られたのだから大満足と考える。正月早々未踏の山に登れるのは縁起の良いことだと思う。
風の強い山頂を後にすると、先行のパーティーの2名はツェルトの準備をしていた。話をさせてもらうと、札幌の方で、この山はあちらこちらのルートから何度も登っているとの事だった。
今日のルートは875mピークへの登りを省略するように沢沿いからコルに上がったそうだ。昨日のトレースも、彼らのものだという事が判り納得した。私は帰りのルートを875mピークを巻きながら学校跡地へ降りるつもりでいたので、アドバイスを受けて下山を開始した
「少し藪っぽいぞ」とのことだったので、自分の位置だけは誤らない様に注意して降りるつもりだ。まずは先ほどの875mピーク下のコルへ向かう。コルに降りた後、もちろんこの875ピークは真面には登らず、右から巻いて次のピークまで行ったのを確かめてから、後は学校跡までコンパスをセットして下って行った。途中から鉱山の施設も見えてきた(写真)ので不安は感じなかった。
確かに少し藪っぽいがスキーは楽しく、無事に長方形の平坦地へ降りた。敷地の境界に網のフェンスが残っているだけだった。
少し美比内山の方向に登り返して小中学校の跡地を撮影した。2011年10月に解体工事されたらしく更地になっていて、何か寂しさを感じさせられた。