2010年8月11日、石川県の小松ICをマイカーでスタートし、12日に山形県の小国駅前に到着、身支度をして駅前から昼過ぎに出るバスに乗って飯豊山荘に向かった。山荘に着き、温泉と、地域の食材を使った料理と、ふかふかの布団に持て成されても、少し心が落ち着かない感じでいた。
訳は、あの羨望のルート「石転びの沢」を断念するしかなかった事だ。台風が来ていて、天候が悪いこと、初めて訪れた事、実力不足などから、しかたない選択だけど、未練が残っていたのです。
勤務の都合もあって8月13日、この日やっと山に入れる。天気は最悪だろうけど、飯豊連峰を縦走できるのは嬉しく思う。選んだルートは梶川尾根から川入のキャンプ場に抜ける2泊3日でした。
1日目 |
飯豊山荘 小国~前泊 |
梶川尾根 |
湯沢峰・梶川峰 |
扇ノ地神 | 門内小屋 | 北股岳 |
梅花皮小屋(泊) |
2日目 | 梅花皮小屋 | 梅花皮岳 | 烏帽子岳 | 天狗岳 | 御西岳 | 飯豊山 | 切合小屋(泊) |
3日目 | 切合小屋 | 種蒔山 | 三国岳 | 剣ヶ峰 | 地蔵山 | 横峰 | 川入(飯豊鉱泉) |
3日目 移動 |
川入 最終バス |
山都駅 | 喜多方駅 | 郡山駅 | 福島駅 | 米沢駅 | 小国駅(3日目夜) |
山荘を出発し、バス停のある道路に出ると、すぐ正面が丸森尾根ルートの登山口になっている。今回の梶川尾根は車道を左に進みゲート。小屋があって入山届を書く場所になっている。パトロールの方がいて、何処から入るか聞きにきた。石転びの沢で事故が多いとのことで、ルート確認だった。
ゲートを過ぎ、橋を渡ってすぐ登山口になるが、梶川尾根は最初から急な登りが続く。
石転びの沢方面が少しでも見えれば、次回の参考になるかと思いこのルートにしたが、濃霧のなか全く展望がきかない。
滑りやすい足元を見て、せっせと登り、序盤は良いペースだった。
急な登りに一息ついた所が湯沢峰1021mだった。
一瞬霧が晴れ、振り向くと隣の丸森尾根が見えたが、こちらもかなりの急勾配だ。
滝見場を通過する時に期待していた「石転びの沢」の姿は、霧で真っ白に塗りつぶされていて、とても残念だった。霧の中の登りは徐々にテンションも下がり、遅れ気味で梶川峰到着。
ここから先急傾斜はなく、新潟県との国境稜線上の「扇ノ地神」1889mまで1時間弱だ。
扇ノ地神に上がってから風が猛烈に吹き続けた。終始右側の日本海側から烈風が吹きつけ、体温を奪っていくのを感じた。
この後、北股岳の2025mまで緩やかな登りは2時間弱。このまま歩き続けるには不安が残る。セーターを一枚着て身支度をし、気合いを入れなおしてスタートしました。
風が抜ける様で、胎内山から門内小屋、門内岳辺りが酷く吹き続け、右の頬が痛くなるほどだ。
この日は、ここが一番強かった。
この日、標高の一番高い、北股岳2024.9mに着いた。かなり寒かったが、この後は梅花皮(かいらぎ)小屋に降りるだけなのでひと安心だった。
雨と烈風でデジカメが作動不良に陥り、梅花皮小屋周辺の写真が無いのが残念です。
梅花皮(かいらぎ)小屋の管理人室をノックし、宿泊名簿等の用紙に氏名・行程を記入する。手が震えていたが、気付かれぬように済ましたつも、水を汲んでから小屋の一角に雨具を吊るし、1階の板の間に自分のスペースを設けた頃16:30分になっていた。
軽量化したかったため、ガスは中サイズ一つで、ヘッドや鍋も最小。衣服の乾燥は体温に任せた。やや失敗したなと思ったが、デジカメをガスであぶってみたら作動不良が解消し動きだした。お湯割りのウイスキーで、冷えた身体の作動不良も解消できて、救われた気分だった。
外はゴーゴー・ビューーと激しさを増していたが、シュラフの中は別世界、身体がポカポカして早い時刻に眠ってしまった。まだ、明るさが残っていた気がする。
3時過ぎに目覚めてゴソゴソし始めたのは、この小屋の3パーティーとも同時だった。焦った感じで5時前に出たパーティーは胎内ヒュッテに向かうらしい。小屋に残りゆっくり準備する人もいた。
私は5:30、お世話になった管理人さんに挨拶して小屋を出た。
小屋のすぐ近くの水場で水を汲んでから、予定地の「切合小屋」へ向かいスタートした。
6:15最初の頂上は梅花皮岳だ。相変わらずの天気なので視界は数メートル、展望がきかないので写真は「標識の柱」ばかりだ。
6:45烏帽子岳、8:05御手洗の池に着いた。
御手洗の池から7~8分行った所で、ルート上に溶け残った雪(氷)があって緊張する。岩と氷のミックスした斜面だが、一見して氷は非常に滑るように見える。一歩づつ真剣に渡り、事なきを得た。
この後は、天狗の庭を経て8:45天狗岳1879mに至る。
御西小屋のすぐ手前で、そうとは気付かず2回目の朝食を摂っていた。今日もそうなりそうな長丁場に備えたのだ。10:00御西小屋に着いた。小屋の軒下は少し雨が凌げたので、ここで地図を確認した。視界が利かないので慎重になり時間が押して気になるが、大日岳往復の3時間弱を今回はカットすることで余裕を持って行けるだろう。方向を確認してから、また霧の中へ進む。
小屋前の分岐を御西岳方向(東)に進み10分で御西岳山頂。この後、駒形山を経て飯豊本山に向かう。
雨に打たれ下を向いて歩いていると登山道に昔の孔明き銭「和同開珎」が落ちている。かなり腐食が進んでいるが間違いなく「わどうかいほう」だ。
その時はミステリーかタイムスリップかと思うほど不思議だったけど、直後に合点が行き、祠に供えられていた昔の賽銭が雨で流されて来たのだろうと気が付いた。拾い上げて少し登るとそこは頂上で、祠に賽銭を戻してあげることが出来た。
有名な飯豊連峰のメインである飯豊本山2105.1mに登ることができた。遠くから苦労してでも来て良かったと思う。登り応えは充分あり、豪雪の山に特有な地形には迫力があった。晴れていれば腰を抜かすような光景が沢山あっただろう。此処へはもう一度、またはルートを変えてやって来る事になるだろうが、今度はぜひ晴れた日を引き当てたい。
山頂は北に延びるダイクラ尾根との分岐になっているが、東方向の飯豊山神社・飯豊本山小屋の方に進んだ。15分で本山小屋に着き、中を覗くと賑やかだったが、管理人さんはこの天気で客は少ないほうだと言っていた。霧のなか隣に神社がぼんやり浮んでいる。中を見ると巫女さんが静かに座っていて、厳かな雰囲気をつくっていた。
神社前から南に向かう道に入り、御前坂という急な下りで、岩がゴロゴロの道になる。緊張させられたのはその先、御秘所の岩稜だ。今回は雨と砂が岩の上に乗り、滑りやすくなっていた。この場所の通過は少なくとも一か所、真剣にさせられると思う。
御秘所の岩場は無事通過でき、姥地蔵~草履塚と進み、切合小屋も近いはずだと思っていた頃、晴れ間が広がって遠くにだが切合小屋が見えた。
15:20小屋に着いてみると、入り口でカレーの材料を大鍋で煮ている最中だった。宿泊を申し出ると「食事はしますか」と聞かれたので、大喜びでお願いすることにした。出来たての温かい食事が頂けるのは予想外の展開で、実にありがたかった。
切合小屋を朝6:30にスタートして、ゆっくりのペースで進む。種蒔山を経由して8:15三国岳・三国小屋に着いた。ここは、三国というだけあって山形県・新潟県・福島県の境になっているようだ。
初日の梶川尾根が山形県で、扇ノ地神からはずっと新潟県と山形県の境を歩いてきた事になる。ここから先は山形県と福島県の境になる。
剣ヶ峰に差し掛かると横殴りの雨になった。この辺は細い岩稜なので足元に注意が必要。最終日にも滑りやすい危険個所があった。最後なので我慢して慎重に降りた。
地蔵山手前の短縮路分岐では地蔵山に向かってみた。しかし目印はなく道は下山し始めた。戻ってみたら道端にお地蔵さんがあったので此処だろうという事で下山を開始した。
ここで山形県を離れ福島県に入った。横峰という山は道の脇に木製の柱があるだけの山頂らしくない感じで、林道川入り線(車両通行止め)のルートとの分岐になっている。
この後、笹平・上十里・中十里・下十里と、やや急な下りがしばらく続き、御沢登山口までの2時間ほどは長く感じた。長坂という名が付いている。
御沢の登山口に着くと後は林道歩きを30分ほど残すだけだ。川入のバスは14:30発車で今シーズン最後になる。一時間強の余裕を残していたので、キャンプ場を見学し、下山届を書いて休憩してからバス停に向かった。3日目は時間の余裕があり、風雨もやや穏やかで助かった。
此処で前日泊するか降りて泊る人も多いのだろう、民宿が何軒も軒を連ねている。
バス停の脇道で着替えとパッキングをして小国までバス・電車・新幹線での移動に備えた。バスに乗って、発車する直前になると運転手さんが重いバス停を車内に運び入れ、「今日で終わりなもんでねえ」と言っていた。出発前に確認してあったので8月15日終了と知っていましたが、もし最終日を間違えると厄介なことになるので要注意です。
この後は、バスで1時間、電車で7時間以上の移動となった。電車の移動では、乗り場や連絡が分からなくてオロオロする事が多い私に、親切に教えてくれた福島県各駅の駅員さんありがとうございました。
22:50小国駅に着いたので、天気予報の良い宮城県に移動開始できました。